2013年1月16日水曜日

思考が創造する現実 part 3

(part 2より)

前回の滞在で、予定通りに事が進まずとも、それよりも望ましい物が手元にやってくる、ということを体験したので、今回もその姿勢で、そして、1秒たりとも不安にならない、状況を疑わない、というのをテーマで旅することにしました。また、本当に望んでいることだけを考える、という期間にもしようと思いました。前回の滞在中、○○に関する情報が欲しいな、と思っているとそれを持っている人と出会ったり、友人との約束の時間までまだ間があるからどこかで時間調整を、と思っていると、通りの向こうからその友人が現れてその必要がなくなったり、と思考が現実に現れやすい場所、という印象を得ていました。どこにいても、日本にいても、現実は思考の結果なのですが、時差があるために気づきにくく、想いと現実化の関係を忘れていることが多いと思います。この土地ではその時差が少ないので、自分の思考や想いを確認するには、とてもよい場所です。

「1秒たりとも不安にならない」とつぶやきながらインドの国際空港に着くと、手配していた迎えの車が来ていません。「不安にならない」というテーマを早速実践かしら、と思いながらホテルに電話をしていると、慌てた様子のドライバーがやってきました。ホテルに無事到着し、その日は休み、翌朝目的地への列車に乗りました。

目的地で列車を降りたら、そこからはオートリキシャです。リキシャに乗ったのはいいのですが、ドライバーは何度も車を止めて、通りすがりの他のドライバーと話をしています。現地の言葉は全く分からないので、一瞬、「何だろう、何をしようとしているのだろう」と不安がよぎったのですが、「不安にならない」というテーマを思い出し、思い直すことにしました。ゲストハウスに着いてから、宿の人が、「メインエリアから少し外れた場所にあるので道が分からなくて何度も訊いて、時間が余計にかかってしまって申し訳ない」とドライバーが伝えて欲しいと言っている、と教えてくれました。

チェックイン後、通された部屋は眺めも日当たりも悪い部屋。河に面した部屋は予定が変わって今日は使えない、とのこと。あれ程念を押したのに~、と思いながら、いやいや「状況を疑わない」をするいい機会よね、と思い直し、部屋にいても楽しくないので、ガンジス河に行くことにしました。河はそこに見えているのに、下りて行く道が分かりません。人通りもなくて道を尋ねることもできないな~、とウロウロしていると、門を閉めて中へ入ろうとしている女性の姿が。その方は、ヒンドゥー教のスワミが着るオレンジ色の衣をまとっています。「すみません!」と呼び止め、道を尋ねると、「1人でいる女性にすすめられる場所はないわね~」との答え。そして、「あなたは日本人?韓国人?私はずっと前に東京に住んでいたことがあるのよ。キリスト教のシスターで、○○に属していたの」と。その○○とは、夫の勤務先です。これは偶然で片付けられません~、と思いながらふと横を見ると、壁に時間割のようなものが書いてあります。そのことを尋ねると、そこはキリスト教の小さなアシュラムで、瞑想の時間を設けている、とのこと。誰でも参加できるとのことだったので、その日の夕方にお邪魔する約束をしました。

河原に行くのはその日はあきらめて、ランチをし、夕方にアシュラムを訪ねました。小さな建物の一角に小さな瞑想ルームがあって、正面にはキリストの絵が飾ってあります。教会のような雰囲気がありながらも、瞑想はヒンドゥー教のチャンティングで終わりました。以前から、キリスト教のバックグラウンドがある方にヒンドゥー教のお話をうかがいたいと思っていたので、嬉しい~♪と心の中で叫びながら、誘ってくださった夕食を共にしました。夕食の席には、南インドと南米から来たシスターもいて、美味しく楽しい時間を過ごしました。それからの数日間は、1日に何度か瞑想のクラスにお邪魔し、日曜日には教会に連れて行ってもらったりして、スワミたちと一緒に時間を過ごしました。

ゲストハウスからアシュラムへ行く道の途中に、建築工事をしていて、足場の下を歩かなければならない場所があります。前日までは何も考えずに歩いていたのですが、ある朝、「インドの工事現場って日本より基準が甘そう、事故とか起きないのかな、大丈夫かな」、といった考えが急に浮かんできました。その瞬間、小石が落ちてきて頭を直撃。「大丈夫かな」と思ったのと同時に小石が落ちてきたので、びっくりしました。そんなの偶然、と思われるかもしれませんが、「大丈夫かな」と「小石直撃」の絶妙なタイミングが、心配するとその通りになる、ということを教えてくれているように感じられました。

今回ガンジス河のそばで瞑想したい、と考えたのは、以前から抱いていた疑問に対する答えを得たい、と思ってのことでした。その疑問とは、この世の土台のようなものについてです。しかし実際にガンジス河のそばに座っていると心が満たされ、瞑想すると至福感が広がっていき、疑問に対する瞑想はしていませんでした。最後の夜、スワミが「訊きたい事があったらなんでも質問して」と言ってくれたので、その疑問について話してみました。そしてスワミの口からもたらされた答えは私の心に強く響き、それからの私の基盤となっています。この土地に着いた初日にスワミに出会い、ガンジス河への道を尋ねました。ガンジス河へ行きたかったのは、疑問への答えが欲しかったら。スワミから行き方そのものは教わりませんでしたが、疑問への答えをもらいました。答えが聞けたことに感無量の私に、彼女は言いました。「質問が口にされたとき、神への門が開かれる」と。クライアントさんにリーディングをさせていただくとき、この言葉を思い出します。

スワミが伝えてくれた答えを再確認するような出来事が空港のある町へ戻る列車の中で起きました。留学中の友人が駅まで見送りに来てくれ、一緒に列車に乗り込もうとしているとき、友人の知り合いも同じ車両に乗ろうとしているのに出会いました。数日前に友人が学んでいるアシュラムですれ違い、その時に「この人と帰りの列車が一緒になるかも」と思った人でした。予感が当たったわ~、と思いながらも、座席は離れていました。列車が動きだし、友人にさよならしてから座席に戻ると、隣の席の男性が「妻と並んで座りたいから席を替わってもらえないか」と頼んできました。「いいですよー」と、奥さんの席に行くと、その隣の男性が「家族と一緒に座りたいので席を替わってくれませんか」と。再び、席を移動すると、なんとそこは、友人の知り合いの隣りの席でした。

こんなに席があるのに、隣になるなんてすごい偶然だねー、と言いながら改めて自己紹介をし合い、インドで学んだこと、これからしたいこと、恋愛や政治など、色々なことに話が弾みました。列車に乗っている5時間近く、ずっと話し続けました。その中で、彼が「どうして人は子供を欲しがると思う?」と訊いてきました。私の考えを話すと、「それも確かにあるだろうけど・・・」と彼の考えを話してくれました。その内容は、前日の夜にスワミが話してくれたものと同じものでした。私がスワミにした質問は異なるものでしたが、彼の口から出てきた言葉はスワミが話してくれたものと全く同じものでした。そして、それを話しているときの彼の瞳が、それまでの彼のものとは全く違っており、何かより高い次元の存在の瞳のように見えました。スワミが伝えてくれた答えを再確認してくれている、と強く感じました。

2度目の旅では期待していた通りに事が進まないと、「残念・・・」とちょっと落ち込み、しばらくすると当初予定していたものよりもこちらのほうがいいかも!と思うものが目の前に用意される、ということが何度か起きました。3度目の旅では、「残念」と落ち込むのはやめて、それが何を連れて来てくれるかをワクワクしながら待ってみました。こういうことがあったらいいな、という希望を持ちながらも、それにとらわれずに流れにまかせてみると、期待していたことよりはるかに素晴らしいことに出会える。また、思考や想いがそのまま現実となって現れる。そして全てはベストな方向に進んでいる。そのようなことを何度も確認させてくれた2つの旅でした。

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